戦後民主主義(勝手な定義又は感想)

※特に出典等はなく、主観に過ぎない。5chやどこかに書き込む際、自分の基本的認識や意見として、又は参考とするために作成した。
※国民経済についても、項目を分けて記述されれば良くなりそうだが、余り良くわかってないので省略。


森嶋通夫『なぜ日本は「成功」したか』(日本の歴史について説明する通史的パンフレットの部分がある)や戦後民主主義について書かれた概説書等読めば(又は読み直せば)、より偏りを避け、より適切で総合的な認識を得ることができる気がするが、今のところそのつもりはない。


戦後民主主義(又は戦後民主政治)
1 概ね、西暦1946年以降の日本における、日本国憲法が保障する自由及び人権等の価値、欧米先進国(列強)から輸入された価値観及びそれらの翻訳・解釈を中心とした考え方や文化。また、これらの価値観、考え方や文化を基礎とした日本国民の投票行動等や、日本国民及び日本国内の各地域住民の代表者としての政治家の政策行動、更には日本企業の経済活動等によって実施・影響される政治・軍事・経済・科学・文化のあり方。
※戦前の、いわゆる「オールドリベラリスト」の影響がどれくらいあったかは、良くわかってないので省略。


2 国外環境としては、概ね1945年以降始まる東西冷戦の緊張を受けながらも、アメリカ合衆国の優越的な軍事力及び冷戦終結以降の覇権による平和のメリットを享受し、日中戦争及び太平洋戦争の結果として負うべきアジア諸国への経済的物質的補償及び戦争責任を局限すること等にも成功したため、主として、早期においては保護貿易的政策を取りつつ、為替レートの恩恵を受けながら、自らの経済・科学技術・文化に、国民・国家のエネルギーを振り向けることができ、これらが、概ね1950年代~1990年代における日本の経済的・科学的・文化的発展及び成功を招来する原因ともなった。


3 国内政治にあっては、1955年の保守合同によって誕生した自由民主党が、社会党共産党のような左派勢力の圧力を受けつつ、国民のニーズを比較的積極的かつ的確に掴み、自らの政策に反映させていった。このため、左派勢力は、自らの構想や経綸を一定程度反映させることができたが、他方、自勢力が主張する政策の陳腐化や自勢力の欺瞞性・危険性に対する国民の嫌厭等から、政権奪取からは遠ざかることとなり、更には、1989年の東西冷戦終結及び1991年のソビエト連邦崩壊(共産主義の敗北/自由主義、民主主義及び修正資本主義の勝利)以降、時代が下るにつれて、その主要な価値観が陳腐化・普及化するに至り、国政上勢力を失うこととなる。


4 概ね1980年代以前にあっては、いわゆる「進歩的文化人(又は知識人)」が、価値観、考え方や文化の敷衍・伝達・宣伝において、重要な役割を担った。
岩波書店朝日新聞がこれらの文化人を支援した証拠があるかは不知。また、彼らの倫理的矛盾(二重基準等)や欺瞞的態度については、批判する声もあるようだが、良くわかってないので省略。


5 必ずしも、過去の日本国民が有した伝統的価値観や慣習を排するものではない。また、必ずしも道徳的退廃や矛盾をもたらすものではない。
※後段は、例えば、戦後の転向や、戦争責任・歴史問題・近隣諸国との外交問題の未解決が挙げられる。


6 代表的な価値観は、国民主権、象徴天皇、平和主義、戦争の嫌悪又は敬遠、基本的人権の尊重(個人の自由の重視)、平等観、歴史観、会社主義・・・。
※但し、個人を互いに尊重する考え方が社会に根付いたかは、各内閣の取る内外の政策や、インターネットにおける意見表明を見る限り、疑わしいものがある。


7 代表的な政策は、GHQの戦後改革(財閥解体、農地改革、男女同権、教育制度改革)、象徴天皇制、吉田ドクトリン(軽武装、対米従属、経済重視)、55年体制所得倍増計画保護貿易、巨大かつ広範な規制・許認可権、記者クラブ、日本型福祉システム。
天皇は、「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」(憲法1条)とあるが、実質には日本国の世襲君主であり、また、「国政に関する権能を有しない」(憲法4条)とされるが、内奏や意見表明等により、小さからぬ影響を国政に与え続けている。
天皇を中心とする閥族や、戦後以来の財閥・有力な資本家等が、戦後復権・復活していったとする意見も見られるが、良くわかってないので省略。


8 今日においては、戦後民主主義の小さくない部分が、一つの社会的(又は民族的)慣習・伝統となりつつあると見られる。それゆえ、戦後民主主義を擁護する者は広義の保守(主義者)とも言える可能性がある。


以上