俺への文句はここに書け

コメント投稿という形で、文句を言えるようにするもの。なお、コメント掲載及び応答を保証するものではない。
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指摘は、具体的に、いつ、何を、どこで言ったかを、引用・出典提示とURLにより示すこと。
主張は、根拠を示してすること。
以上が満たされないコメントについては原則応答しない。

このブログの記事は見られたものではないので読者になってはいけません!

いいか、お前ら、忠告したからな・・・

俺は別に目立ちたいとか反応が欲しいわけじゃなくて、好き勝手に記事を書きたい(インターネット上にデブリを撒き散らしたい)だけなんだ

※プロフィールにも述べているところだが、このブログの記述自体は、出典を明示する限り、勝手に引用・転載してもらって差し支えはない。ただし、記述それ自体、真正性・論理性等を保証するものではないことは予め述べておく。

 

https://profile.hatena.ne.jp/ds20200405/

●私が記載した一切の事項は、それ自体、事実であることを保証するものではない。また、有用性、正確性、真実性(真正性)、安全性、公平性、倫理性、論理性等を保証するものでもない。全て利用者自身の責任において利用されたい。(付言すると、これらを保証するのは官公庁等公の機関の証明か(受け取り手である)貴方の内心しか無い、と私は思うのだ。)
●私が記載した一切の事項その他一切の言行について、倫理道徳上又は論理上の一貫性や、論理的整合性を考慮したり、堅持しなければならないという義務は私に存しない。(説得力や信義を失うということはあるだろう。私の考えが、例えば1秒後に変わらないと保証することは何人に対してもできない。)

 ●私が記載した一切の事項を転載したり引用することを、ことさら禁止するつもりはないが、転載や引用の結果としての曲解、偏見等各人の認知の歪み等から来る各自の誤った理解等及びそれらから導き出されるあらゆる事象については、私は一切責任は負わないと宣言する。(私の責任の範囲外であり、存在しないか又は存在するべきではない責任を負わされること自体、不当だと考えるからだ。)
●私が記載した一切の事項から、転載や引用をする際は、その旨を明示すること。(つまり、転載・引用した箇所で出典を示すこと。私に連絡をしたければしていただいて構わないが、原則、応答はしない。お互いの時間・エネルギー・感情を節約するためだ。)

 

 

 

以上

議論と「差別」に係る十戒

https://fjii.blog.fc2.com/blog-entry-3041.html から着想。
 
西村博之を反面教師として。
 
 
 
# 基本的に自分が無知であることを理解する。
  # 謙虚であるよう努める。
  # 知的誠実性を保つ。
# 自らの能力の限界や偏り(バイアス)を自覚する。
  * 誰にでも能力の限界や偏り(バイアス)はある。
  # 努めて公平に振る舞う。
# 自分に準じて、相手を尊重する。相手が礼節を保つ限りで、礼節を保つ。
   具体的には、人格攻撃、誹謗中傷や罵倒等をしない。
    また、相手のレスポンスには、努めて礼を言う。
    但し、相手が罵倒等をする場合のレスポンスとしては、この限りではない。
    例えば、対話可能性が無い者を相手にする必要はない。
  * これに、以下を加えても良いかも知れない。
   # 一定の範囲内において、コミュニケーションを継続する努力をする。
   # 一定の範囲内において、相手の言っていることを善意に解釈する(善解)。
  * 相手の人格は、それ自体、主張の論理性・妥当性とは関係しない。説得力には関係する。
# 議論や対話のルールを守る。詭弁を弄さない。
  具体的には、議題・論点等のすり替え等をしない。
# 根拠なくして他者を批判したり、○○であると決めつけたりしない。
  # 自分の主張には、合わせてその根拠を挙げる。
# 言葉や物事の意味を理解する。
  # 引用等は努めて正確にする。
  # 主張及び用語については、努めて他者が理解できる程度に敷衍し、又は定義をする。
# 枝葉末節に拘る余り、本来の目的を見失わない。
  # 合目的性や合理性を考慮する。
# 不正義又は不道徳な振る舞いをしない。
  特に、社会的に差別とされる行為(「差別」)をしない。
  また、「差別」(又は不正)を擁護しない。
# 何が「差別」(又は不正)であるかを知る。
  # 「差別」(又は不正)であるか否かは、反転可能性や公平性に注意を払いつつ、判断する。
# 自分も「差別」(又は迫害・攻撃)される側になりうることを理解する。
 

以上

宮内庁長官発言に対する若干の感想

 

憲法及びその解釈を参照しつつ、また、憲法の精神や意図を探りつつ、素人なりに本件について考えてみると、
 
1 宮内庁長官の当該発言を、天皇の意図又は発言として見たときには、
 国民に対する、また、五輪に関する政府の振る舞いについての何らかの思いというのは確かにあるのだろう。
 新聞等で報じられてるような内容については基本的に同意見であり、
 そもそも、俺は、現下の情勢を踏まえ、今年の五輪開催には反対である。
※あれを天皇の(公式の)発言と読んでしまうのは、そもそも読解能力に問題があるので、論外。
 天皇の発言でなく、自らの「感想」であると、宮内庁長官自身が発言(要旨)している。
 
2 最近、新聞等で報じられてる程度ならば、
 「時事に対する感想」の範疇(表現の自由(制限されてはいるが)の範疇)に当たり、直ちに憲法に抵触するとは思えない。
 例えば、災害や原発事故に対する感想については、従来、問題とされていない。
 まあ、国民や政府の受け取り方次第だが、「国政に関する権能」の行使等に当たるとは言えないと思う。
 
3 そもそも、天皇は、政治的存在であることを免れず、
 言ってみれば、私的な部分を除き全ての行為(いや、私的な部分すらも)が政治的であると言えなくもない(政治的中立性とはまた別)。
 だから、「政治的発言」がどうとか言ってるのもちょっとおかしな話に見える。
 してみると、憲法1章も9条と同様に矛盾と妥協の塊と言えそうで、将来、改正が必要になってくると考えられるが、それはさておこう。
 実際的には、天皇の行為どこまでをOKとし、どこからをNGとするかが問題である。
 これについては、憲法で定める国事行為以外に、公的行為(行幸や、大会等の名誉総裁就任等)の存在を認めるように、現実に即して、憲法を合理的に解釈するより無いだろう。
 (つまり、基本的には、現状の天皇行為三分説=政府解釈と同じ立場を取る。)
 
4 そして、天皇の行動が、結果的に、憲法が禁ずる程度・態様の政治性又は政治的偏り(政治的中立性からの逸脱)を帯びるかは、実は、天皇の意図や表現よりも、受け取り手たる国民・政府の受け取り方の問題となるように思う。
 
5 2では、天皇の意図・発言として見たときは、違憲には当たらない旨述べたが、
 他方、宮内庁長官が「拝察」と称して、天皇の意図であるかのように自らの感想を語るのは問題であると考える。
 実際、それは宮内庁長官の感想に過ぎず、天皇のご感想ではない。つまり、天皇の意図であるというのは事実ではない。
 内閣や各政党の党首等がまともに取り合わないのも当然で、むしろ、これを公式に、天皇の意図として受け取ってしまうと、厄介なことになる。
 こうした悪例が認められると、誰かが「拝察」と称して、政治的働きかけを認める道を開くことになる。この場合は、天皇ご自身が発言されるよりも悪質になりうる。
 法令上禁止されてる行為ではないが、禁止されるべき行為であると思うのだ。
 
6 なお、天皇の意図を「拝察」した例は、2009年、民主党政権が、習近平天皇への特例会見を認めた際に、小沢一郎が「拝察」と称したものが挙げられる。
(この際に、世論から批判されたかはいまいち覚えていないが、俺は確か批判したと思う。
 これ以後は跡を絶っていたかのように見えたが、再び出来したと言うわけだ)
 
7 まず、宮内庁長官というのは内閣が任免する行政府の一官僚に過ぎず、制度上、天皇の臣下ではない。
 行政府の一官僚が内閣の決めた政策に反したり、内閣の統制から逸脱した行動を取るというのは、法令の明文で禁止されて無くても、内部統制からして明らかにダメ。
 1930年代のクーデター未遂事件で、青年将校らの暴走が黙認された場合や、満州事変で、関東軍の暴走が黙認された場合を考えて欲しい。
 内閣は、宮内庁長官を懲戒すべきで、もし、懲戒すべき法的根拠が無いならば、更迭すべきだろう。
 「法の支配」や「民主的統制」を貫徹するのならば、「憂国の至情」から出た義挙であっても、ダメなものはダメとしなければならないのだ。
 一体、西村が辞表を提出しないというのもおかしな態度だ。これで正しいことをしたと考えているならば、彼は独善にして僭越である。
 また、叡慮に出たことならば、本来は、彼や侍従長が諫言すべきところなのだ。
 つまり、本件は、宮内庁幹部(ひいては内閣)の怠慢でもある。
 
8 なお、一言しておくと、五輪は「政治」乃至政治問題(又は政治案件・政治マター)に当たるように思われる。
 五輪関連の事象には、国家・国民のリソースを大いに割いており、我々国民の関心が非常に高い。
 ゆえに、これらの事象に係る問題を政治問題として扱わないのは、詭弁であるように思われる。
 おそらくは、五輪憲章から導き出したであろう転倒した主張だろうが、五輪憲章には、政治的中立性を謳ってはいるが、政治問題として扱うことを禁じ、またはそうと当然に読み取れる規定は無かったはずだ。
 この際の五輪非政治論は、現実を見ていない観念論めいた主張だと思う。
 
9 天皇の五輪・パラリンピック両大会の名誉総裁就任及び開会式等への出席等についてだが、
 これはいくつかの慣例に従った「公的行為」に当たると考えられ、差し当たり、違憲にはならないだろう。
 なお、歴代の天皇が名誉総裁に就任された例については、1964年の東京五輪、1972年の札幌五輪昭和天皇)、そして、1998年の長野五輪(前天皇(現上皇))が挙げられる。
 
10 付け加えると、天皇は無答責で裁判権には服さない。
 天皇の国事行為及び公的行為の責任は内閣に帰し、内閣が、国事行為及び公的行為について、助言と承認を行い、天皇はそれに基づいて行為する。
 そして、国事行為及び公的行為に対する天皇の拒否権は認められない。
 
11 責任を有さない(しかし、実際権威とか影響力は有している)実質の「君主」又は「元首」(我が憲法は「国家及び国民統合の象徴」と称しているが)を、
 (大雑把に言って)国民の代表たる内閣が統制するというのが今の憲法体制(国体)のあり方である。
 その観点からも、宮内庁長官のやり方はまずいと言うことができる。
 
以上

 

性交同意年齢(刑法)に関する意見

性交同意年齢(刑法)に関する意見
 
(発言、処罰・懲戒について)
●民主主義国家においては、
1 現に違法
2 明らかに倫理道徳に反する
ものを除き、発言を規制されたり、発言によって処罰され又は懲戒を受けるべきではない。
また、これらの行為が将来する結果に類する結果を招来する行為を強制するべきでもない。
 
●当然、誰か(特定の人間)の快・不快又は政治的選好のみによって、発言を規制されたり、発言によって処罰され又は懲戒を受けるべきではない。
また、これらの行為が将来する結果に類する結果を招来する行為を強制するべきでもない。
 
●単に不快で、又は政治的選好に適わない発言があったとして、それで他人の人格等を決めつけることは慎むべき。
 
 
固定観念等)
●単に成年男性が未成年女性を搾取するというのみの固定観念、偏見、快、不快又は感情論のみを根拠として、物事を進めるのは、厳に慎むべきである。それは凡そ議論のための態度とは思えない。
 
●年長者の男性が必ず搾取する側に立つという見方が適切であるかは疑問がある。固定観念、偏見に基づく年齢差別、性別差別に当たる可能性がある。
 
●恋愛や婚姻自体、そもそも互いの思い込みから発生する場合がある(むしろ、互いを深く理解しあって、付き合うというのは稀ではないか?)
 
 
(性交同意年齢)
●性交同意年齢:性行為を行うかどうか判断できるとみなされる年齢の下限。刑法177条に規定しており、この年齡以下に対する性交は同意の有無によらず、強制性交等として罰される。
 
●性交同意年齢を引き上げることには、現時点では反対(賛成するに足る理由がない)。なぜなら、子供の利益を擁護する観点からは、現行法体系(法律と各種条例)で間に合っており、わざわざ引き上げるべき合理的、倫理的理由が見いだせないから。
 
●つまるところ、賛成者は、現行法体系ではカバー(・フォロー)しきれない場合と引き上げによって確保される子供の利益や社会一般(国民一般)の利益を、合理的、倫理的理由を示して説明する必要がある。
また、既存の刑事法と整合的であることも求められるので、それについても説明する必要がある。
 
●もし引き上げるならば、例外を認めるべきではない。責任・能力・保護の観点から行うならば、未成年者同士が性交を行うことは当然に禁止されるべきだし、これのみを特例として認めるのは全く矛盾した態度である。つまり、いわゆる「ロミオとジュリエット」規定は置くべきではない。
 もっとも、合理的・倫理的理由が説明されるならば、この限りではないが、納得の行く理由が説明されることは多分無いだろう。
 
●性交同意年齢を具体的に何歳に設定するかは、科学的見解を踏まえた合理的・倫理的理由によってしなければならない。また、既存の各種権利が発生する年齢(例えば、刑事責任年齢、単独で契約行為ができる年齢(成年)、婚姻適齢(婚姻可能年齢))との兼ね合いも考えなければならない。
単に他国に追随するというのは、合理的ではない。
 但し、具体的な年齡規定を持つ国際約束を日本が受容している場合は、この限りではない(国際約束は誠実に遵守されなければならない)。
 
●結局は快、不快の問題に帰着するような気もするが、刑事法はそれのみで決めるものであってはならない。
快・不快のみで、誰かを罰するというのは、前近代の考え方であり、現代にあってはとられるべき考え方ではない。
 
●法学者の意見はこの際傾聴するべきだが、特定の党派や政治的選好に偏してはならない。
 
●国会の出した結論に従わない又は尊重しないということではない。
 
 
パターナリズム
パターナリズム
 1:強い立場にある者が、弱い立場にある者の利益のためだとして、本人の意志は問わずに介入・干渉・支援すること。
 2:親が子を保護するように、国家が保護的視点から個人の領域に介入すること。
 
●引き上げ又は厳罰化それ自体はパターナリズムである。子供の権利を、保護の名目で制限するものであるからだ。
 ただし、合目的的・合理的な理由があるなら、パターナリズムを否定するものではない。
 政策や法令は、合目的的・合理的理由に基づいて、実現可能性・結果をもたらす蓋然性や正義・倫理道徳を踏まえて、正義や利益を比較衡量して決定(制定)されるべきと思うからだ
 
 
性教育、避妊・中絶方法)
性教育は、いずれの場合でも、適切に必要な情報が子供に提供されなければならない。子供を無知のままにしておくということは、大人のとるべき態度とは思えない。
 
●避妊や中絶の方法は、胎児たる子供の権利の保護を考慮しつつ、適切な手段が提供されなければならない。
 
●教育や避妊等方法からのアクセスを遠ざけることが、性交の件数を減らすことに繋がるとは思えない。
 それは単に「臭いものに蓋」をするだけである。